(その1 河内飛鳥について)
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古代史上謎の5世紀といわれる時代、河内(この頃の河内は、摂河泉三国)に大きな政治権力が存在した。(757年、河内の国南部3郡を割いて和泉国がつくられるが、ここではその和泉の国もふくめている。)この頃については、中国の古代史書(晋書・宋書)に記されており、倭の五王が統治したとされる時代である。
この王権は、応神からはじまり武烈までの11代(「古事記・日本書紀」による)河内の地域(現在の大阪府南部)を基盤として巨大王権を成立させ、いわゆる河内王朝(あるいはワケ王朝※)である。
※ワケ王朝−和名“別−ワケ”がはいる名の天皇が4名おられる。15代応神天皇、17代履中天皇、18代反正天皇、
23代顕宗天皇である。
河内王朝を育んだ大和川、その川へそそぐ飛鳥川、石川、その3川に囲まれた一帯である駒が谷(安宿郡あすかぐん)を中心とする地域を狭義には河内飛鳥と呼ぶが、広義には東は二上山から大和川流域の古市の郡周辺も含め表現される。この河内飛鳥を近ッ飛鳥、それに対して大和のアスカを遠ッ飛鳥と呼ぶ。この呼び方については、この地(統治の中心)からの距離を表したのではないかとの話を聞いたことがある。
※旧国名でも、京の都に近い「近江(おうみ)國」(滋賀県)と遠い「遠江(とおとうみ)國」(静岡県)の例があり、
「越前」、「越中」、「越後」のように、都に近いほうから前、中、後と名付けられている。
この王朝は、巨大な古墳を築造したことでも名を馳せている。大仙古墳(仁徳天皇陵古墳に治定)、誉田山古墳(応神天皇陵古墳に治定)など全国巨大古墳ベストテンのうち六つを占めており、そしてまたこの地は、渡来人が居住し本貫地として渡来文化の花を咲かせ、その文化はいまもこの一帯のあちこちに残されている。
河内の渡来系氏族は、百済からの渡来人とみられる葛井(ふじい)、津、船、西文(かわちのふみ)、武生、蔵、田辺史、飛鳥戸などの氏が記録されている。葛井寺・辛國神社(葛井氏・百済辰孫王の末裔)、大津神社・善正寺廃寺(津氏)、野中寺(船氏)、西琳寺(西文・武生・蔵などの各氏)、飛鳥戸神社―祭神は百済の王族・昆伎王―などがその氏族によって建立、あるいは祭祀しされてきた社寺といわれる。
更にこの地域に残された古墳群の中には、渡来の影響を受けたものも多い。例えば飛鳥戸神社を祭祀した首長の墓と見られる観音塚古墳は、横口(穴)式石棺(現在では横口式石槨と表現される)という百済の様式を持つ特異なものであり、各古墳からの埋蔵品では半島の特徴を備えたもの(例えばミニチュア炊飯具等)も出土しており、この河内一帯の地に濃厚に分布している。
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(その2 ウォーキング経路)
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(社)ふたかみ福祉会「はびきの園」(羽曳野市駒ヶ谷)でのクッキー作り体験や、いちじくジャムの生産工程を見学した後、大黒寺から石川沿い西岸を南下し源氏三代の墓、通法寺跡、壷井八幡宮を巡り、河内飛鳥の歴史や河内源氏発祥の地について学びながら、近鉄南大阪線を横切り飛鳥戸神社へ向かう。
最後に、飛鳥ワイン(株)飛鳥ワイナリー(羽曳野市飛鳥)の工場見学をして、羽曳野のぶどう生産の歴史やワイン生産の歴史について説明をしていただき、その後解散となる。
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